2006年 04月 13日
部活動の思い出 |
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/15 22:07 ID:PU5HPOAA
帰宅部の人もどうぞ
10 : ◆nil/vNn.66 :03/10/17 23:18
中学生の頃入ってた吹奏楽部が
一番思い出深いなぁ・・・
今くらいの時期だとたしか区の音楽会があって
それに向けての練習に明け暮れてた
お気に入りの練習場所は
屋上へ続く階段の踊り場
狭い天井に反響して音の渦に全身包まれるの
上手くなったような気がしちゃうから
本当はそこで音出すのは禁止されてる
自分の音に自信がなくなると
こっそりと踊り場で音を出してみた
息が続く限り長いロングトーンをしながら
窓から漏れる夕陽を眺めた
だんだんと視界がぼんやり暗くなって行くのは
夕焼けが落ちたからじゃなくて
軽い酸欠で気が遠くなっていくから
メトロノームの硬い音がゆっくりゆっくりと空気を刻んで
いつ時間が止まってもおかしくないと思った
31 :はんぺん ◆OdenYNnVso :03/10/27 21:48
中学生、高校生とも剣道部。部活が全てだった。
それしか楽しみなかったし。
37 :大人になった名無しさん :03/10/28 11:33
中学の時は美術部で美術室で絵を描いたりした。
たまに授業の美術の作品仕上げていない人が仕上げるために教室使うために
部活休みになったことあった。
人数がそれほど多くない時は、私達が絵を描いている時に作品仕上げていた。
3年間美術部にいて、ほぼ毎回作品仕上げに残っている人が何人かいた。
その中に双子の男子(私と同学年)がいた。
どっちか知らないが「下手くそな絵」と言ってきてむっとした。
高1の時、双子の片方が隣のクラスにいて、友達が隣のクラスにいるからそこで
友達と話していたら、同じクラブ(高校は弓道部)の男子が
「○○(双子の片方)が中学の時から好きだと言っているぞ」と言ってきた。
その双子とは私は同じクラスになったこと一度もなかった。小学校は同じだったが。
だから私を多少よく知ることできたのは放課後の美術室ぐらいだと思う。
もし弓道部の男子が言っていたことが本当だったら、「下手くそな絵」と言ったのは
どっちだったのだろう?
私は、好きになってくれたと思われる人ではないような気がするが。
139 :大人になった名無しさん :04/02/05 02:44
大学の時、応援団に入団。まさに過酷そのものだった。
練習はもちろんきつかったが、入団したての人間にとって
さらにきつかったのは一般学生の目であった。
大学のある日や行事がある度に学生服を身に着ける。周りの一般学生からは
「なんだあいつ?男塾?w」や「おぉすw」などと馬鹿にされていた。
しかしそんなものを跳ね飛ばすほど、忘れさせてくれるほど嬉しかったのは
応援しに行った試合の母校の選手達からの感謝の言葉であった。
彼らの言葉が無かったり、他の体育系、文化系の先輩後輩同期の励ましが無かったら
応援団をやめてしまっていただろう
175 :大人になった名無しさん :04/03/20 16:52
卒業の日、部室の入り口を眺め涙が止まらなかった。
218 :大人になった名無しさん :04/06/19 20:56
中高、弓道部。
インターハイ予選前日、先輩が言った。
「明日は三年間のすべてを懸けるよ」
ちょうど今の季節だった。
あの時の光景は忘れられない。
この季節になると毎年思い出すよ。
部活がすべて。弓道がすべて。
私が人生でいちばん楽しい時だった。
249 :大人になった名無しさん :04/07/10 14:44
中学時代は天文部。人数は10人ちょっとだったけど、
なごやかーな部でした。夜とかに集まって活動するから
ちょっと怖かったりするんだけど、みんなでミニプラネタリウム
作ったり、冬なんか星がすごく綺麗で、いい思い出だな。
275 :はる :04/07/27 21:05
ほんま部活なんか辞めたいって思ったのに、引退試合で負けて引退って時にありえんくらいボロボロ泣いてもた。やっぱり続けとって良かったと思ったなぁ☆
279 :大人になった名無しさん :04/07/31 21:00
学生時代柔道に没頭した。やっぱり夏合宿が一番思い出深い。朝砂浜をどこまでも
走らされて。その後おんぶダッシュやらだっこやら肩車やら走らされて。朝飯喰ったら
午前練まで熟睡。練習終わったら昼飯喰って午後練まで熟睡。なんか動いて、喰って、寝て
の生活だった。
女とも全く無縁の生活だったしなぁ。肘と首は今でも痛い。楽しい思い出なんて
特に無かったけど、仮にもう一回学生生活送ることができたら、やっぱり柔道するんだろうなぁ。
帰宅部の人もどうぞ
10 : ◆nil/vNn.66 :03/10/17 23:18
中学生の頃入ってた吹奏楽部が
一番思い出深いなぁ・・・
今くらいの時期だとたしか区の音楽会があって
それに向けての練習に明け暮れてた
お気に入りの練習場所は
屋上へ続く階段の踊り場
狭い天井に反響して音の渦に全身包まれるの
上手くなったような気がしちゃうから
本当はそこで音出すのは禁止されてる
自分の音に自信がなくなると
こっそりと踊り場で音を出してみた
息が続く限り長いロングトーンをしながら
窓から漏れる夕陽を眺めた
だんだんと視界がぼんやり暗くなって行くのは
夕焼けが落ちたからじゃなくて
軽い酸欠で気が遠くなっていくから
メトロノームの硬い音がゆっくりゆっくりと空気を刻んで
いつ時間が止まってもおかしくないと思った
31 :はんぺん ◆OdenYNnVso :03/10/27 21:48
中学生、高校生とも剣道部。部活が全てだった。
それしか楽しみなかったし。
37 :大人になった名無しさん :03/10/28 11:33
中学の時は美術部で美術室で絵を描いたりした。
たまに授業の美術の作品仕上げていない人が仕上げるために教室使うために
部活休みになったことあった。
人数がそれほど多くない時は、私達が絵を描いている時に作品仕上げていた。
3年間美術部にいて、ほぼ毎回作品仕上げに残っている人が何人かいた。
その中に双子の男子(私と同学年)がいた。
どっちか知らないが「下手くそな絵」と言ってきてむっとした。
高1の時、双子の片方が隣のクラスにいて、友達が隣のクラスにいるからそこで
友達と話していたら、同じクラブ(高校は弓道部)の男子が
「○○(双子の片方)が中学の時から好きだと言っているぞ」と言ってきた。
その双子とは私は同じクラスになったこと一度もなかった。小学校は同じだったが。
だから私を多少よく知ることできたのは放課後の美術室ぐらいだと思う。
もし弓道部の男子が言っていたことが本当だったら、「下手くそな絵」と言ったのは
どっちだったのだろう?
私は、好きになってくれたと思われる人ではないような気がするが。
139 :大人になった名無しさん :04/02/05 02:44
大学の時、応援団に入団。まさに過酷そのものだった。
練習はもちろんきつかったが、入団したての人間にとって
さらにきつかったのは一般学生の目であった。
大学のある日や行事がある度に学生服を身に着ける。周りの一般学生からは
「なんだあいつ?男塾?w」や「おぉすw」などと馬鹿にされていた。
しかしそんなものを跳ね飛ばすほど、忘れさせてくれるほど嬉しかったのは
応援しに行った試合の母校の選手達からの感謝の言葉であった。
彼らの言葉が無かったり、他の体育系、文化系の先輩後輩同期の励ましが無かったら
応援団をやめてしまっていただろう
175 :大人になった名無しさん :04/03/20 16:52
卒業の日、部室の入り口を眺め涙が止まらなかった。
218 :大人になった名無しさん :04/06/19 20:56
中高、弓道部。
インターハイ予選前日、先輩が言った。
「明日は三年間のすべてを懸けるよ」
ちょうど今の季節だった。
あの時の光景は忘れられない。
この季節になると毎年思い出すよ。
部活がすべて。弓道がすべて。
私が人生でいちばん楽しい時だった。
249 :大人になった名無しさん :04/07/10 14:44
中学時代は天文部。人数は10人ちょっとだったけど、
なごやかーな部でした。夜とかに集まって活動するから
ちょっと怖かったりするんだけど、みんなでミニプラネタリウム
作ったり、冬なんか星がすごく綺麗で、いい思い出だな。
275 :はる :04/07/27 21:05
ほんま部活なんか辞めたいって思ったのに、引退試合で負けて引退って時にありえんくらいボロボロ泣いてもた。やっぱり続けとって良かったと思ったなぁ☆
279 :大人になった名無しさん :04/07/31 21:00
学生時代柔道に没頭した。やっぱり夏合宿が一番思い出深い。朝砂浜をどこまでも
走らされて。その後おんぶダッシュやらだっこやら肩車やら走らされて。朝飯喰ったら
午前練まで熟睡。練習終わったら昼飯喰って午後練まで熟睡。なんか動いて、喰って、寝て
の生活だった。
女とも全く無縁の生活だったしなぁ。肘と首は今でも痛い。楽しい思い出なんて
特に無かったけど、仮にもう一回学生生活送ることができたら、やっぱり柔道するんだろうなぁ。
by luck2jp
| 2006-04-13 19:07
| 懐かしいお話