2006年 04月 23日
涙が出るほどいい話 3粒目 |
まえがき:
少々編集させて頂いた箇所があります。 では、どうぞ
1 :さくら餅2:2005/03/29(火) 21:38:28 ID:L8siUryJ
1 :さくら餅 :04/03/11 16:34
実体験はもちろんテレビや本などで知った話、
涙が出るほどじゃなくても、ジーンとくる話、ほんわか話等
聞かせてちょ。
94 :至宝 ◆uNMEhQxxrs :2005/05/30(月) 22:57:02 ID:3KCpzBca
涙が出るほど…ではないが。
さっき彼女と電話してたら、突然なんの脈略もなく…
彼女「…あぁ、やっぱ私センスあるわぁ。」
オレ「…ん!?なにがよ?」
彼女「話してて思うよ。よくぞ私はあんたを選んだよ。私の選択はすごい!!…ってちょっと思った。」
376 :癒されたい名無しさん :2005/11/04(金) 03:35:22 ID:cAELYwG2
姉の部屋で充電機かなにかを探していた私。小物入れから3千円をみつけた。
姉に「何これ?へそくり?使わんならちょーだい」
姉「それはダメ。」
私「へそくりが3千円なんてやっすいなぁ笑」
姉「そのお金はね、アタシが一人暮らしする日の朝に中学生のアンタが『今これしかないけど』ってくれたお金。大事なお金なんよ。」
そんなことすっかり忘れてたな。こんなことがたまぁにあり、たまぁに姉が大事に思える。
泣ける話じゃなかったかな。泣けたのは本人だけでしょう。
248 :246:2005/08/07(日) 18:09:47 ID:xvuavxq4
OK、じゃ聞いてくれ。俺の自身の情けない話なんだが・・・
俺の親父は仕事一筋、俺が小さい時に一緒にどっか行ったなんて思い出は全く無い。
何て言うのかな…俺にあんまり関わりたがらないような人って感じ。
俺は次男で、兄貴には結構厳しくて説教したり時には手出してたの見た事も有った。俺にはそんな事は全く無かったんだ。
だから余計に兄貴ばっかりで俺には興味が無い(言い方変かもしれんが)んじゃないか、ってよく思ってたんだ。
高校決める時も「お前がいいならそれでいい」の一言だけ。
遅く帰っても、テストの成績が悪くても全く口出さなくてさ、いつも俺に言うのはおかん。
まともに今日何が有った、とか話した事も殆ど無かった気がする。親父から話し掛けてくる事なんてまず無い。
だから俺も殆ど親父に関わらずに生きてきたんだ。
そんな親父が入院したのはちょうど高校2年の時。
動脈硬化?って言うんだっけか…血管がコレステロールで詰まってしまう病気。
その時もさ、確かに驚きはしたけど、そっか…って感じだった。
しばらく入院と通院が続いて、手術もして大分良くなった時が、ちょうど俺の大学受験と重なったんだ。
第一志望の大学の合格通知見た時、おかんはちょうど病院に居た。
連絡取りたくてもその時は今ほど携帯普及してなかったから、おかんから電話が来るか帰ってくるの待つしかなかった。
その時タイミング良く今から帰るから晩飯買って行くって電話来たんだ。
当然その時に報告したらおかんも大喜びしてくれた。
おかんと電話で話してから20分くらいしてからかな、家に電話かかって来た…親父からだった。
おかんから今さっきの電話で大体の様子は聞いてた。少なくても一人で電話して来れるほどにはまだ回復して無い事も。
「親父何やってんだよ、寝てなきゃ駄目じゃないのか?」
「馬鹿、俺なんかどうでもいいんだよ。それより、大学受かったんだって?」
「あぁ…」
「そっか、良かったな…おめでとう!」
その時さ、何かもう頭の中真っ白になっちゃってその先何話したか全然覚えてないんだ。
無理してまで俺におめでとうって言ってくれたのが嬉しくてさ…電話切った瞬間に、涙溢れて止まらなかった。
おかん帰ってきた時も俺泣いてて、俺言葉にならない様な声でおかんにその事言ったんだ。
そしたらさ、ゆっくり話し始めてくれた…親父の事。
249 :246:2005/08/07(日) 18:13:51 ID:xvuavxq4
親父小さい時に父親戦争で亡くしてて、親としてどう子供に接したらいいか分からないっておかんによく言ってた事。
兄貴に厳しくして俺に何も言わなかったのも、どうしたら上手く俺とコミュニケーション取れるか分からなかったからって事。
俺が小さい頃に一回怒って、俺が全く親父に寄り付かなくなった時が有って、それがずっと心に残ってた事。
俺が何が好きかよく分からなくて、休みの日にどこに連れて行こうか迷っている内に結局行けなくなってしまった事。
俺の事可愛くて仕方が無かったから、何も言えず、ただ心配しか出来ず、おかんに色々言うしか出来なかった事。
親父が俺を避けてたんじゃなくて、俺が親父を避けてたって事
馬鹿だよな俺。何も分からなくて、分かろうともしなくて・・・親父は凄く悩んでたってのにさ。
もしかしたらさ、俺のせいで病気になったんじゃないかって。
もう情けなくて申し訳無くて、泣きながらずっと親父に謝ってた。
それからすぐ親父は仕事を退職、毎日家に居る。相変わらず毎日の薬と、週何回かの通院のままだけどね。
親父、長生きしてくれな。俺も大学卒業出来て仕事に就いて、今まで出来なかった親孝行やっと出来る様になったんだからさ。
俺が仕事行く時にわざわざ玄関まで来なくたっていいよ。欲しい物有ったら何でも言ってくれよ。
体辛くなったらすぐ言ってくれよ。気なんか遣わなくていいんだからさ・・・
最後に、面と向かっては言えないからここで言わせてくれ。
こんな馬鹿息子で本当にごめん・・・ありがとう。
長文、駄文でスマソ
277 :癒されたい名無しさん :2005/09/02(金) 23:39:46 ID:ly9BotVY
いい話多いな。思い出した日があったので書いてみる。
夏休みの部活のときの話。
高校1年のときバドミントン部だった。(中学の時の先輩に誘われて仕方無く入った。)
でも以外に楽しいしきっついスポーツなんだよ。
んで、男女一緒に練習するから当然カップルってのがでてくるんだよ。
俺もやはり同じ部活の人と付き合ってた。
真夏でもシャトル(球のことね)が風で飛ばされないように体育館閉め切って練習してた。
当然暑くて蒸してストレスもたまるんだ。
んで彼女がやる気なさそ~にしてるもんだからつい切れてしまって
「てめぇやる気ねぇならくんなよ!」
って言ってしまった。結構気の強い女だったから
「はぁ?うるさい。何切れてんの?ムカつく。」
って言われ、そこからしばらくの間お互い全く話さなくなった。
俺もそうとうムカついてた。
でもさすがに何日もそんな状態が続くとだんだん仲直りしたくなってきた。
彼女も同じ事思ってたのかな?帰りに一緒に自転車こいで帰ったんだ。
で、近くにあるサンクスによって、なんとか笑わせて仲直りしようって思ってさ
「もしこのチョコボールがあたったら俺は今日お前に本音を言おうじゃないか!」
って言い放った。
俺の頭ん中では、もちろんはずれて
「何本音って?教えろよ!」
と彼女に聞かれて仕方無く仲直りしたいと思ってたって言おうと思ってたんだ。
あたっちゃったんだよ。銀のエンゼルだったけどさ。
びっくりした。彼女もえっ?!って顔してた。
んで向こうが少し真面目な顔して
「じゃあ当たったから教えてよ」
って言ってきた。
まだガキだった俺はそこで普通に仲直りしようって言えばよかったのに、それが頭からとんでしまってて
ついそっこうで「俺お前超好き。マジ好きだから。マジだから。」
ってカタコトのように言ったんだ。今思えばそれが本音だったんだな。
なんか言葉に出しちゃったからか真っ赤な夕日をバックに座ってた彼女が急激に愛しくなってきた。
「知ってるよバカ」
ずっと胸にしまってた大切な思い出だな。
今あいつは他の男と結婚したがたまに俺の事とか思い出してくれてるかなぁ
431 :癒されたい名無しさん :2006/01/15(日) 16:07:29 ID:8hOxWq7/
小五の春に彼は転校して来た。
私の住んでいた所は田舎で東京から来た彼はとても皆と違う雰囲気があった。
どちらかと言うとジャニーズ系だった。
最初は周りの男子も近寄らず彼は一人だった。
そしてある日いたずら好きのAが彼と仲良くなっていた。
それを見て周りの子も少しずつ彼と話すようになった。
ある日席替えがあり私は、彼と隣になった。
それから少しずつ話すようになりその人柄の良さに私はひかれた。
いつのまにか毎日しゃべっていた。
いろいろな話をした。東京の話とかテレビとか…。
それから彼にはたくさんの友達が出来た。
そしていつのまにか彼の周りにはいつも友達が居た。
そんなある日彼は学校を休んだ。
しかし担任は彼が休んだ理由を中々言わなかった。
そして帰りの会(HR)に先生が口を開いた。
「○○は、昨日自転車に乗っていて曲がり角にぶつかった。」
すると男子の一人が
「すごい怪我をしたの?」と言った。
先生が少し小さな声彼の休んだ本当の理由を言った。
「大した怪我ざゃない。でも○○が曲がり角にぶつかったのは目が見えなかったからなんだ。」
どうやら彼は目の病気だった。小さいころからの持病でいつかは目がまったく見えなくなってしまうという病だった。
(ごめんなさい。病名わかりません。)
そして彼は次の日も学校を休んだ。
Aや周りの子はものすごく心配していた。
しかしその次の日彼はいつもと変わらない様子で学校に来た。
そして皆もいつもと変わりなく彼に接していた。
でもなんとなくみんないつもより優しかった。
私もいつも通り彼と喋っていた。
しかしある日HRで先生からお知らせがあった。
先生は言った。
「○○は五年生の三月でまた前の学校に戻ります。」
皆は嘘だろ!とか言ってたが彼本人から
「本当だよ。」
と告げた。泣きだしそうな子も居た。
でももう二月になっていた。
そして皆からある案が飛びかった。
お別れ会をしよう。と。
そして彼には内緒で準備をすすめた。
男子たちは、グループにわかれその日に読む作文を作り女子は、その日の進め方など話し合った。
そしてみんなで彼に歌を歌おうと言うことになった。その歌は
「ビリーブ」とゆう彼がうちのクラスに来てから初めて音楽の授業で歌った曲だった。
そしてその日が来た。
先生が彼を休み時間に呼び出しそのうちに準備をした。
そしてチャイムが鳴り彼が教室に入ってきた。
それと同時に女子が彼を前の真ん中の席へと案内した。
そして「これからお別れ会を始めます」と言うと彼も気付いたようだった。
まず男子が作文を読んだ。今まで過ごした思い出等も言っていったが途中でその男子が泣き崩れた。
でもその男子は一生懸命読んだ。そして床には無数の涙がこぼれていた。
そしてびしょびしょになった作文を彼に渡した。
「目が見えなくなったらいつでも助けにいくから。」
とことばを残した。
そしていつのまにか私も涙が出ていた。
私も涙が溢れ周りの子からも涙が溢れていた。
そして最後にビリーブを歌った。
最後の方はもう涙でよく聞き取れなかっただろう。
そして最後に彼がみんなに言った。
「本当に…ありがとう。」彼も涙を流した。
そして彼は去っていった。 それから彼の消息は途絶え今彼が何処にいるかはわかっていない…。
こんな長い駄文すいませんでした。
これで終わりです。
ありがとうございました。
445 :癒されたい名無しさん :2006/01/18(水) 03:22:58 ID:XIF2CF12
ムサシ
俺と18年間過ごした雑種犬。
言うことも聞かないし犬らしいリアクションも少なく、ただただ所定の場所に座り行き交う人を睨みつける。
当時は本当に不安になって獣医に耳が聞こえてるか検査に連れて行ったくらい。
愛嬌というものが皆無でお手やおすわりも覚えなかった。
ムカつく犬だったなー。「ムサシ!」って読んでもシカト。「おい!」って軽く小突いてもシカト。散歩とメシの時は目を合わせずに尻尾だけ振ってるし。
だからあいつが病気になって入院した時はスゲー不安だった。
痛がったり苦しがったりのリアクションを先生にわかるかな?とか辛くても空中睨みつけるだけで我慢してんじゃないのかな?とか考えてたら眠れなかった。
病気のせいで記憶障害起こしてる可能性があるって医者から聞いた時、目の前が真っ暗になったよ。
生まれた時から一緒だった俺の事も忘れてんのかなって思うと怖くて仕方がなかった。
もう助からないってわかって、せめて最後は自宅でゆっくりさせてやろうって事になって、俺が病院まで迎えに行った。
おそるおそるムサシの檻に近づいて、我ながら頼りねーって思うくらい情けない声で「ムサシ…」って呼んでみた。
そしたらさ、横になってゼェゼェしてたムサシがゆっくり体を起こしてくれたんだよな。
それだけじゃなくて、俺の方に近づいて声にならない声で、口パクだったけど「ワン」って吠えてくれた。
もう今まで堪えてた涙がそこで一気に溢れた。
ムサシに泣かされたのはそれがはじめてだった。
それから3日くらいでムサシは息をひきとった。
ホントムカつく犬だったなー。学校の同級生にも親にもあんなに泣かされた事ないっての。
俺のはじめての友達で兄弟だった。
576 :癒されたい名無しさん :2006/03/04(土) 04:21:34 ID:I1VOl08f
全然、涙出るほどいい話じゃないんだけど
ふと思い出したんで書かせてもらいます。
俺は三月にギリギリで卒業した工房なんだが
去年あった話を…
俺は、どうしようもないヤツで
警察ともめたりとか、喧嘩とか、あほみたいな事ばかりしてた不良ってやつだった
そんなある日、あまりに暇だったから学校を無断で抜け出し
駅前までバスで遊びに行ったんだ
駅前に着いて、一服しようとタバコ取り出そうとしたら
何か、フラフラもたついてるじいさんが目に付いた。
俺は「うざってーなぁ、道わかんねーな来るなよ」
とか思ってた。
そのじいさんはただ、その辺をうろつくだけで、誰にも助けをもらうわけでもなく
誰も、助けようとするわけでもなくて
見てて居た堪れなくなり、声をかけた。
「どこ行くんだ?見ててイライラするから行きたいトコ連れてってやるよ。」
かなり不器用。こういうの慣れてなかったから
じいさんは「ありがとう。私は目が見えなくてね。家族とはぐれて困ってたんだ。」
と言ってきた
マジかよ。めんどくせー
とか思ってたんだけど、駅に連れてけば大丈夫かなって思い
連れてくことにした。
俺はじいさんの手を掴み、駅に向かっていった
そんな俺らを周りは、不思議そうに見てた
俺は黙って歩いていた
じいさんは、俺に話しかけてくる
年はいくつだ、学校には行ってるのか。そんな感じのことを聞かれた
適当に話してたんだが、じいさんおもろくて気付いたら、もう駅に着いてた
俺は家族と会えるように駅員にアナウンスしてもらったり
じいさん連れて家族を探してた。そしたら、運よく家族と再会できた。
もう用無しかなって思い、俺は帰ろうとした時にじいさんがこう言った
「本当にありがとう、最近の子でも君みたいに優しい子もいるんだねぇ…本当に助かりました。ありがとう」
って
俺は否定した。ついでに俺のしてきたあほな事も全部言ってやった。でもじいさんは
笑いながら
「元気だなぁ。でも、今日私を助けてくれた事には変わりない、優しい子だよ。
親も自慢できるだろね。」
って言ってきた
なんて言っていいか分からなくて「ありがと。でも自慢はできねぇだろwじいさん元気でやれよ」
とだけ言って俺もそのまま帰っていった
ずっと、お辞儀しててくれたっけな…
すごく嬉しくて俺、少し泣いてたな。今思うと情けなかったかなって思う
今、ふと思い出した事だから、曖昧なトコもあるかもしれないけど
書かせてもらいました。
長文、乱文失礼しました。
518 :1:2006/02/15(水) 04:24:57 ID:VBIQu8j/
小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、
そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。
親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。
だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。
もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。
普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。
そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。
今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。
中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。
レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。
毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。
そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。
「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。
高校にいっても陸上は続けた。
でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか
俺はいつもイライラするようになった。
勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、
鬱陶しく感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。
親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。
反抗期、というものだったのかもしれない。
519 :2:2006/02/15(水) 04:25:32 ID:VBIQu8j/
そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。
理由はわかっていた。
数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。
一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。
そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。
レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。
親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。
「なぁ、お前何の為に走ってるんだ? そんな眉間にしわ寄せてさ。
父さんはな、お前が・・・」
親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。
「うるせえ!出て行けよ!!親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ!!
もう嫌なんだよ!親父の顔を気にしながら走るのは!
勉強だってしなきゃいけないんだ!親父の期待は俺にとって重いんだよ!!」
そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、
しばらくすると悲しそうな顔をしながら俺を思い切り殴った。
それからはむちゃくちゃだった。
お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。
それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、
そしてすぐに俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。
でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、
毎日悶々としていた。
520 :3:2006/02/15(水) 04:26:56 ID:VBIQu8j/
俺が部活をやめて2ヶ月くらいたった頃だ。
親父が急に倒れ、病院に運ばれた。
検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。
俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、
お袋に何度も誘われたが、見舞いにはなかなか行けずにいた。
家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。
そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、
親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。
そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。
俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。
だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。
そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、
すごく心配してたらしい。
なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、
なにも言わなくなったのだと。
「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。
俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。
学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。
そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき
俺は気付いてしまった。
521 :4:2006/02/15(水) 04:27:36 ID:VBIQu8j/
そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。
親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。
誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。
俺は授業そっちのけで病院に走った。
道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、
もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってたけど、
それでも俺は走った。
走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。
病室に行くと、変わり果てた親父がいた。
ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、
大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。
走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、
「走ってきたのか」
と消えるような声でいった。
うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には
ぼろくさい布が握られていて、それを俺の方に突き出し
俺の手にぼろくさい布を渡してきた。
それは小さい頃のあのタスキだった。
「なぁ、走るのは…楽しいだろ」親父は笑いながら言った。
522 :5 ラスト:2006/02/15(水) 04:28:41 ID:VBIQu8j/
その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。
葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、
机の上に置きっぱなしにしていたタスキを見つけた。
親父の夢は俺と箱根を走る事だった。そして俺にタスキを渡す事だった。
もちろん一緒に箱根なんて走れない。それは親父が生きていても同じだ。
でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。
なぜだか涙があふれて止まらなかった。
そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。
冬が明けると俺はまた走り始めた。
小さい頃に親父と走ったあの道だ。
記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。
ただ違うのは隣に親父がいない事。
今、俺は結婚して子どもが出来た。
いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。
少々編集させて頂いた箇所があります。 では、どうぞ
1 :さくら餅2:2005/03/29(火) 21:38:28 ID:L8siUryJ
1 :さくら餅 :04/03/11 16:34
実体験はもちろんテレビや本などで知った話、
涙が出るほどじゃなくても、ジーンとくる話、ほんわか話等
聞かせてちょ。
94 :至宝 ◆uNMEhQxxrs :2005/05/30(月) 22:57:02 ID:3KCpzBca
涙が出るほど…ではないが。
さっき彼女と電話してたら、突然なんの脈略もなく…
彼女「…あぁ、やっぱ私センスあるわぁ。」
オレ「…ん!?なにがよ?」
彼女「話してて思うよ。よくぞ私はあんたを選んだよ。私の選択はすごい!!…ってちょっと思った。」
376 :癒されたい名無しさん :2005/11/04(金) 03:35:22 ID:cAELYwG2
姉の部屋で充電機かなにかを探していた私。小物入れから3千円をみつけた。
姉に「何これ?へそくり?使わんならちょーだい」
姉「それはダメ。」
私「へそくりが3千円なんてやっすいなぁ笑」
姉「そのお金はね、アタシが一人暮らしする日の朝に中学生のアンタが『今これしかないけど』ってくれたお金。大事なお金なんよ。」
そんなことすっかり忘れてたな。こんなことがたまぁにあり、たまぁに姉が大事に思える。
泣ける話じゃなかったかな。泣けたのは本人だけでしょう。
248 :246:2005/08/07(日) 18:09:47 ID:xvuavxq4
OK、じゃ聞いてくれ。俺の自身の情けない話なんだが・・・
俺の親父は仕事一筋、俺が小さい時に一緒にどっか行ったなんて思い出は全く無い。
何て言うのかな…俺にあんまり関わりたがらないような人って感じ。
俺は次男で、兄貴には結構厳しくて説教したり時には手出してたの見た事も有った。俺にはそんな事は全く無かったんだ。
だから余計に兄貴ばっかりで俺には興味が無い(言い方変かもしれんが)んじゃないか、ってよく思ってたんだ。
高校決める時も「お前がいいならそれでいい」の一言だけ。
遅く帰っても、テストの成績が悪くても全く口出さなくてさ、いつも俺に言うのはおかん。
まともに今日何が有った、とか話した事も殆ど無かった気がする。親父から話し掛けてくる事なんてまず無い。
だから俺も殆ど親父に関わらずに生きてきたんだ。
そんな親父が入院したのはちょうど高校2年の時。
動脈硬化?って言うんだっけか…血管がコレステロールで詰まってしまう病気。
その時もさ、確かに驚きはしたけど、そっか…って感じだった。
しばらく入院と通院が続いて、手術もして大分良くなった時が、ちょうど俺の大学受験と重なったんだ。
第一志望の大学の合格通知見た時、おかんはちょうど病院に居た。
連絡取りたくてもその時は今ほど携帯普及してなかったから、おかんから電話が来るか帰ってくるの待つしかなかった。
その時タイミング良く今から帰るから晩飯買って行くって電話来たんだ。
当然その時に報告したらおかんも大喜びしてくれた。
おかんと電話で話してから20分くらいしてからかな、家に電話かかって来た…親父からだった。
おかんから今さっきの電話で大体の様子は聞いてた。少なくても一人で電話して来れるほどにはまだ回復して無い事も。
「親父何やってんだよ、寝てなきゃ駄目じゃないのか?」
「馬鹿、俺なんかどうでもいいんだよ。それより、大学受かったんだって?」
「あぁ…」
「そっか、良かったな…おめでとう!」
その時さ、何かもう頭の中真っ白になっちゃってその先何話したか全然覚えてないんだ。
無理してまで俺におめでとうって言ってくれたのが嬉しくてさ…電話切った瞬間に、涙溢れて止まらなかった。
おかん帰ってきた時も俺泣いてて、俺言葉にならない様な声でおかんにその事言ったんだ。
そしたらさ、ゆっくり話し始めてくれた…親父の事。
249 :246:2005/08/07(日) 18:13:51 ID:xvuavxq4
親父小さい時に父親戦争で亡くしてて、親としてどう子供に接したらいいか分からないっておかんによく言ってた事。
兄貴に厳しくして俺に何も言わなかったのも、どうしたら上手く俺とコミュニケーション取れるか分からなかったからって事。
俺が小さい頃に一回怒って、俺が全く親父に寄り付かなくなった時が有って、それがずっと心に残ってた事。
俺が何が好きかよく分からなくて、休みの日にどこに連れて行こうか迷っている内に結局行けなくなってしまった事。
俺の事可愛くて仕方が無かったから、何も言えず、ただ心配しか出来ず、おかんに色々言うしか出来なかった事。
親父が俺を避けてたんじゃなくて、俺が親父を避けてたって事
馬鹿だよな俺。何も分からなくて、分かろうともしなくて・・・親父は凄く悩んでたってのにさ。
もしかしたらさ、俺のせいで病気になったんじゃないかって。
もう情けなくて申し訳無くて、泣きながらずっと親父に謝ってた。
それからすぐ親父は仕事を退職、毎日家に居る。相変わらず毎日の薬と、週何回かの通院のままだけどね。
親父、長生きしてくれな。俺も大学卒業出来て仕事に就いて、今まで出来なかった親孝行やっと出来る様になったんだからさ。
俺が仕事行く時にわざわざ玄関まで来なくたっていいよ。欲しい物有ったら何でも言ってくれよ。
体辛くなったらすぐ言ってくれよ。気なんか遣わなくていいんだからさ・・・
最後に、面と向かっては言えないからここで言わせてくれ。
こんな馬鹿息子で本当にごめん・・・ありがとう。
長文、駄文でスマソ
277 :癒されたい名無しさん :2005/09/02(金) 23:39:46 ID:ly9BotVY
いい話多いな。思い出した日があったので書いてみる。
夏休みの部活のときの話。
高校1年のときバドミントン部だった。(中学の時の先輩に誘われて仕方無く入った。)
でも以外に楽しいしきっついスポーツなんだよ。
んで、男女一緒に練習するから当然カップルってのがでてくるんだよ。
俺もやはり同じ部活の人と付き合ってた。
真夏でもシャトル(球のことね)が風で飛ばされないように体育館閉め切って練習してた。
当然暑くて蒸してストレスもたまるんだ。
んで彼女がやる気なさそ~にしてるもんだからつい切れてしまって
「てめぇやる気ねぇならくんなよ!」
って言ってしまった。結構気の強い女だったから
「はぁ?うるさい。何切れてんの?ムカつく。」
って言われ、そこからしばらくの間お互い全く話さなくなった。
俺もそうとうムカついてた。
でもさすがに何日もそんな状態が続くとだんだん仲直りしたくなってきた。
彼女も同じ事思ってたのかな?帰りに一緒に自転車こいで帰ったんだ。
で、近くにあるサンクスによって、なんとか笑わせて仲直りしようって思ってさ
「もしこのチョコボールがあたったら俺は今日お前に本音を言おうじゃないか!」
って言い放った。
俺の頭ん中では、もちろんはずれて
「何本音って?教えろよ!」
と彼女に聞かれて仕方無く仲直りしたいと思ってたって言おうと思ってたんだ。
あたっちゃったんだよ。銀のエンゼルだったけどさ。
びっくりした。彼女もえっ?!って顔してた。
んで向こうが少し真面目な顔して
「じゃあ当たったから教えてよ」
って言ってきた。
まだガキだった俺はそこで普通に仲直りしようって言えばよかったのに、それが頭からとんでしまってて
ついそっこうで「俺お前超好き。マジ好きだから。マジだから。」
ってカタコトのように言ったんだ。今思えばそれが本音だったんだな。
なんか言葉に出しちゃったからか真っ赤な夕日をバックに座ってた彼女が急激に愛しくなってきた。
「知ってるよバカ」
ずっと胸にしまってた大切な思い出だな。
今あいつは他の男と結婚したがたまに俺の事とか思い出してくれてるかなぁ
431 :癒されたい名無しさん :2006/01/15(日) 16:07:29 ID:8hOxWq7/
小五の春に彼は転校して来た。
私の住んでいた所は田舎で東京から来た彼はとても皆と違う雰囲気があった。
どちらかと言うとジャニーズ系だった。
最初は周りの男子も近寄らず彼は一人だった。
そしてある日いたずら好きのAが彼と仲良くなっていた。
それを見て周りの子も少しずつ彼と話すようになった。
ある日席替えがあり私は、彼と隣になった。
それから少しずつ話すようになりその人柄の良さに私はひかれた。
いつのまにか毎日しゃべっていた。
いろいろな話をした。東京の話とかテレビとか…。
それから彼にはたくさんの友達が出来た。
そしていつのまにか彼の周りにはいつも友達が居た。
そんなある日彼は学校を休んだ。
しかし担任は彼が休んだ理由を中々言わなかった。
そして帰りの会(HR)に先生が口を開いた。
「○○は、昨日自転車に乗っていて曲がり角にぶつかった。」
すると男子の一人が
「すごい怪我をしたの?」と言った。
先生が少し小さな声彼の休んだ本当の理由を言った。
「大した怪我ざゃない。でも○○が曲がり角にぶつかったのは目が見えなかったからなんだ。」
どうやら彼は目の病気だった。小さいころからの持病でいつかは目がまったく見えなくなってしまうという病だった。
(ごめんなさい。病名わかりません。)
そして彼は次の日も学校を休んだ。
Aや周りの子はものすごく心配していた。
しかしその次の日彼はいつもと変わらない様子で学校に来た。
そして皆もいつもと変わりなく彼に接していた。
でもなんとなくみんないつもより優しかった。
私もいつも通り彼と喋っていた。
しかしある日HRで先生からお知らせがあった。
先生は言った。
「○○は五年生の三月でまた前の学校に戻ります。」
皆は嘘だろ!とか言ってたが彼本人から
「本当だよ。」
と告げた。泣きだしそうな子も居た。
でももう二月になっていた。
そして皆からある案が飛びかった。
お別れ会をしよう。と。
そして彼には内緒で準備をすすめた。
男子たちは、グループにわかれその日に読む作文を作り女子は、その日の進め方など話し合った。
そしてみんなで彼に歌を歌おうと言うことになった。その歌は
「ビリーブ」とゆう彼がうちのクラスに来てから初めて音楽の授業で歌った曲だった。
そしてその日が来た。
先生が彼を休み時間に呼び出しそのうちに準備をした。
そしてチャイムが鳴り彼が教室に入ってきた。
それと同時に女子が彼を前の真ん中の席へと案内した。
そして「これからお別れ会を始めます」と言うと彼も気付いたようだった。
まず男子が作文を読んだ。今まで過ごした思い出等も言っていったが途中でその男子が泣き崩れた。
でもその男子は一生懸命読んだ。そして床には無数の涙がこぼれていた。
そしてびしょびしょになった作文を彼に渡した。
「目が見えなくなったらいつでも助けにいくから。」
とことばを残した。
そしていつのまにか私も涙が出ていた。
私も涙が溢れ周りの子からも涙が溢れていた。
そして最後にビリーブを歌った。
最後の方はもう涙でよく聞き取れなかっただろう。
そして最後に彼がみんなに言った。
「本当に…ありがとう。」彼も涙を流した。
そして彼は去っていった。 それから彼の消息は途絶え今彼が何処にいるかはわかっていない…。
こんな長い駄文すいませんでした。
これで終わりです。
ありがとうございました。
445 :癒されたい名無しさん :2006/01/18(水) 03:22:58 ID:XIF2CF12
ムサシ
俺と18年間過ごした雑種犬。
言うことも聞かないし犬らしいリアクションも少なく、ただただ所定の場所に座り行き交う人を睨みつける。
当時は本当に不安になって獣医に耳が聞こえてるか検査に連れて行ったくらい。
愛嬌というものが皆無でお手やおすわりも覚えなかった。
ムカつく犬だったなー。「ムサシ!」って読んでもシカト。「おい!」って軽く小突いてもシカト。散歩とメシの時は目を合わせずに尻尾だけ振ってるし。
だからあいつが病気になって入院した時はスゲー不安だった。
痛がったり苦しがったりのリアクションを先生にわかるかな?とか辛くても空中睨みつけるだけで我慢してんじゃないのかな?とか考えてたら眠れなかった。
病気のせいで記憶障害起こしてる可能性があるって医者から聞いた時、目の前が真っ暗になったよ。
生まれた時から一緒だった俺の事も忘れてんのかなって思うと怖くて仕方がなかった。
もう助からないってわかって、せめて最後は自宅でゆっくりさせてやろうって事になって、俺が病院まで迎えに行った。
おそるおそるムサシの檻に近づいて、我ながら頼りねーって思うくらい情けない声で「ムサシ…」って呼んでみた。
そしたらさ、横になってゼェゼェしてたムサシがゆっくり体を起こしてくれたんだよな。
それだけじゃなくて、俺の方に近づいて声にならない声で、口パクだったけど「ワン」って吠えてくれた。
もう今まで堪えてた涙がそこで一気に溢れた。
ムサシに泣かされたのはそれがはじめてだった。
それから3日くらいでムサシは息をひきとった。
ホントムカつく犬だったなー。学校の同級生にも親にもあんなに泣かされた事ないっての。
俺のはじめての友達で兄弟だった。
576 :癒されたい名無しさん :2006/03/04(土) 04:21:34 ID:I1VOl08f
全然、涙出るほどいい話じゃないんだけど
ふと思い出したんで書かせてもらいます。
俺は三月にギリギリで卒業した工房なんだが
去年あった話を…
俺は、どうしようもないヤツで
警察ともめたりとか、喧嘩とか、あほみたいな事ばかりしてた不良ってやつだった
そんなある日、あまりに暇だったから学校を無断で抜け出し
駅前までバスで遊びに行ったんだ
駅前に着いて、一服しようとタバコ取り出そうとしたら
何か、フラフラもたついてるじいさんが目に付いた。
俺は「うざってーなぁ、道わかんねーな来るなよ」
とか思ってた。
そのじいさんはただ、その辺をうろつくだけで、誰にも助けをもらうわけでもなく
誰も、助けようとするわけでもなくて
見てて居た堪れなくなり、声をかけた。
「どこ行くんだ?見ててイライラするから行きたいトコ連れてってやるよ。」
かなり不器用。こういうの慣れてなかったから
じいさんは「ありがとう。私は目が見えなくてね。家族とはぐれて困ってたんだ。」
と言ってきた
マジかよ。めんどくせー
とか思ってたんだけど、駅に連れてけば大丈夫かなって思い
連れてくことにした。
俺はじいさんの手を掴み、駅に向かっていった
そんな俺らを周りは、不思議そうに見てた
俺は黙って歩いていた
じいさんは、俺に話しかけてくる
年はいくつだ、学校には行ってるのか。そんな感じのことを聞かれた
適当に話してたんだが、じいさんおもろくて気付いたら、もう駅に着いてた
俺は家族と会えるように駅員にアナウンスしてもらったり
じいさん連れて家族を探してた。そしたら、運よく家族と再会できた。
もう用無しかなって思い、俺は帰ろうとした時にじいさんがこう言った
「本当にありがとう、最近の子でも君みたいに優しい子もいるんだねぇ…本当に助かりました。ありがとう」
って
俺は否定した。ついでに俺のしてきたあほな事も全部言ってやった。でもじいさんは
笑いながら
「元気だなぁ。でも、今日私を助けてくれた事には変わりない、優しい子だよ。
親も自慢できるだろね。」
って言ってきた
なんて言っていいか分からなくて「ありがと。でも自慢はできねぇだろwじいさん元気でやれよ」
とだけ言って俺もそのまま帰っていった
ずっと、お辞儀しててくれたっけな…
すごく嬉しくて俺、少し泣いてたな。今思うと情けなかったかなって思う
今、ふと思い出した事だから、曖昧なトコもあるかもしれないけど
書かせてもらいました。
長文、乱文失礼しました。
518 :1:2006/02/15(水) 04:24:57 ID:VBIQu8j/
小さい頃、よく親父に連れられて街中を走ったものだった。
生まれた町は田舎だったので、交通量が少なく、
そして自然が多く、晴れた日にはとても気持ちのいい空気が漂っていた。
親父は若い頃に箱根駅伝に出たらしい。
だから走る事が大好きで、息子にもその走る楽しさを教えてあげたかったのだろう。
もともと無口だった親父も、走ってる時だけはずっと俺に声をかけつづけていた。
普段の無口な親父がなんとなく怖かった俺は、その時だけは親父が好きだった。
そしてお袋が作ったタスキを使って、駅伝ごっこをしてりしてた。
今思えば、親父はまだ青春時代に生きていたのだろう。
中学に入った俺は、当然陸上部に入部した。
レースでは結構いい成績で、部活内でもトップレベルだった。
毎回応援に来てくれる親父は、俺がいい記録を出した日には必ず酒を飲んでいた。
そして真っ赤な顔して上機嫌で、俺に毎回同じ事を言うんだ。
「お前と一緒に、箱根走りたかったなぁ」って。
高校にいっても陸上は続けた。
でも思うように記録は良くならず、さらに勉強についていけないのもあってか
俺はいつもイライラするようになった。
勉強の事には口を出さないくせに、陸上のことばかり気にしてくる親父の事を、
鬱陶しく感じてしまうようになるのに時間はかからなかった。
親父が期待してるのは知ってたから、余計に顔を見たくない気持ちだったのだろう。
反抗期、というものだったのかもしれない。
519 :2:2006/02/15(水) 04:25:32 ID:VBIQu8j/
そんなある日、その日のレースもいい記録は出なかった。
理由はわかっていた。
数日前に定期テストの追試のために、勉強を夜遅くまでしていたから体調を崩していたからだ。
一体自分は何をやっているのか、その時の俺は本当に悩んでいた。
そして家に帰って、部屋のベッドでひとり天井を眺めていると親父が入ってきた。
レースの事で何か言われるのかと、正直顔も見たくなかった。
親父は俺の横に座って、長い沈黙の後にこう言った。
「なぁ、お前何の為に走ってるんだ? そんな眉間にしわ寄せてさ。
父さんはな、お前が・・・」
親父がそこまで言いかけたところで俺の気持ちが爆発した。
「うるせえ!出て行けよ!!親父には俺の気持ちなんかわかんねえだろ!!
もう嫌なんだよ!親父の顔を気にしながら走るのは!
勉強だってしなきゃいけないんだ!親父の期待は俺にとって重いんだよ!!」
そう一気に言い切ってしまった俺を、親父は驚いた顔をして眺めていたが、
しばらくすると悲しそうな顔をしながら俺を思い切り殴った。
それからはむちゃくちゃだった。
お袋が止めに入るまで俺と親父は大喧嘩をした。
それ以来、親父と気まずくなってしまい、話す事もなくなり、
そしてすぐに俺は陸上部を退部し、走るのをやめた。
でも別に成績が良くなったわけでも、イライラが消えたわけでもなく、
毎日悶々としていた。
520 :3:2006/02/15(水) 04:26:56 ID:VBIQu8j/
俺が部活をやめて2ヶ月くらいたった頃だ。
親父が急に倒れ、病院に運ばれた。
検査結果は末期の癌で、あと数ヶ月の命だろうということだった。
俺はショックを受けたが、まだ親父とのわだかまりがあり、
お袋に何度も誘われたが、見舞いにはなかなか行けずにいた。
家と仕事先と病院とを行き来するお袋を見て、苦労をかける親父に腹が立ちすらした。
そうしてる間に体力は徐々に落ちていって、
親父はいつ死んでもおかしくないほど弱ってきた。
そんなある朝、学校に行く前にお袋が思い出すように話し始めた。
俺が高校に入ってからも陸上を続けた事を親父はすごく喜んでいたらしい。
だから俺の記録がなかなか伸びなくて苦しんでる時、親父も同じように悩んでいたと。
そしていつか俺が走るの事を嫌いになってしまうんじゃないかって、
すごく心配してたらしい。
なのにあの日俺と喧嘩したあと、一切俺が走らなくなったのに、
なにも言わなくなったのだと。
「あの人も頑固だからねぇ」とお袋は付け足して朝食の片付けをし始めた。
俺はその話に何か引っかかるものを感じていた。
学校に行ってもずっと気になり、勉強どころではなかった。
そして休み時間、友達が「あの先生のせいで数学が嫌いになった」と言ったとき
俺は気付いてしまった。
521 :4:2006/02/15(水) 04:27:36 ID:VBIQu8j/
そうだ、俺はあの日、親父に言ってしまった。
親父のせいで走るのが嫌いになったと、そう言ってしまったのだ。
誰よりも走るのが好きで、そして誰と走るよりも、俺と走る事が好きな親父に。
俺は授業そっちのけで病院に走った。
道路には雪がつもり、何度も転びそうになったけど、
もうしばらく走ってなくて心臓が破裂しそうなくらいバクバクいってたけど、
それでも俺は走った。
走ってる間、あの日俺を殴る前に見せた悲しそうな親父の顔が何度も頭に浮かんだ。
病室に行くと、変わり果てた親父がいた。
ガリガリに痩せて、身体からはいくつかチューブがでて、
大きく胸を動かしながら、苦しそうに息をしていた。
走ってぜぇぜぇいってる俺を見つけた親父は、
「走ってきたのか」
と消えるような声でいった。
うなずく俺に、親父が「そうか」と言いながらベッドから出した手には
ぼろくさい布が握られていて、それを俺の方に突き出し
俺の手にぼろくさい布を渡してきた。
それは小さい頃のあのタスキだった。
「なぁ、走るのは…楽しいだろ」親父は笑いながら言った。
522 :5 ラスト:2006/02/15(水) 04:28:41 ID:VBIQu8j/
その後すぐに親父の容態は急変して、そしてまもなく死んでしまった。
葬式なんかで慌しく物事に追われ、ようやく落ち着いて部屋に戻った時、
机の上に置きっぱなしにしていたタスキを見つけた。
親父の夢は俺と箱根を走る事だった。そして俺にタスキを渡す事だった。
もちろん一緒に箱根なんて走れない。それは親父が生きていても同じだ。
でも親父は確かに、俺にタスキを渡した。
なぜだか涙があふれて止まらなかった。
そうだ俺は確かに、タスキを受け取った。
冬が明けると俺はまた走り始めた。
小さい頃に親父と走ったあの道だ。
記憶にあるのと同じ木漏れ日、同じ草のにおい、同じ坂道。
ただ違うのは隣に親父がいない事。
今、俺は結婚して子どもが出来た。
いつかこの子に、このタスキを渡したいと思っている。
by luck2jp
| 2006-04-23 19:14
| 優しいお話